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京(京都市内)

やっぱり!まず京都から

1.今の京都、幕末の京都

京街道の終点、歴史の都、京都は流石に華やかですが、幕末を偲ぶ場所となると、実は京都随一の繁華街、河原町が一番のポイントです。
京阪四条駅か阪急河原町駅で降りて、木屋町通りや先斗町の方へ北上すれば、京都の中でも一番若い人達が集まるスポットですが、実は木屋町通りの横を流れる高瀬川に沿って土佐屋敷、彦根屋敷と続き、三条を越えると対馬藩邸、そして御池通りを越えて丁度ホテルオークラのある当たりに長州藩邸がありました。それぞれの屋敷跡には石碑が建っているので、ひとつひとつ確認しながら歩いてみるのも楽しいです。

石碑というと、旧近江屋も中岡慎太郎旧居住地跡も、酢屋も、確かに土佐藩邸を囲むようにすぐ近くに点在しています。特に近江屋の石碑と中岡慎太郎旧居住地跡の石碑は河原町通りを挟んで向かい合うくらいの位置で、少し北に向かって歩いていけば酢屋が今も木材屋さんというか、木工の雑貨屋さんとして残っています。ちなみに新撰組で有名な池田屋は三条通りを越えて明治屋の隣。近江屋も池田屋も繁華街をフラフラと歩いていれば、気付かずに通り過ぎてしまいそうなくらい日常的な場所にあります。

もともと祇園や先斗町など京都の中でも賑わっていた場所のはずですが、そうした雑踏の中に上手く紛れ込んで暗躍してたのかもしれません。何より、京都の喧騒を感じながらフラフラと歩いてみてその距離感が分かるというところが何より楽しいところです。


2.木屋町通りと高瀬川

木屋町通りや先斗町、河原町通りは、まず思い浮かべるのは祇園祭かもしれません。ついでにちょっと京都に詳しい人なら、桜の頃の木屋町通りを思い浮かべるかも。先斗町も古くからの料亭のようなお店も少なくはないはずですが、すっかり鴨川の川床が有名になりすぎて、今では若い人の集まるちょっと高級でお洒落なスポットになっているし、木屋町通りといえば、どちらかというと夜遊びスポットのイメージが強すぎですね。

このあたりは、歴史のある街を歩くというよりは、京都で一番賑やかな雑踏をすり抜ける感覚ですが、多分新しいものと大騒ぎするのが大好きな龍馬の思いが今の河原町の興隆を生み出してるのかもしれないと考えれば、まあ龍馬の最期の地らしいと言えるかもしれません。

ところで、高瀬川は角倉了以親子が江戸時代初期に開削した運河で、江戸時代を通じて物流の中心だった場所ですから、京都の中でも比較的賑やかな場所だった事は違いないかもしれませんがそれはあくまで最近のこと。そう考えれば長州藩邸や土佐藩邸などがこの高瀬川に面した場所に構えたのも頷けるところです。

桜の頃は綺麗ですが、やや騒がしすぎる高瀬川周辺も、三条通りを越えて、御池通りも越えると、大分静かで綺麗な落ち着いた雰囲気の場所になります。この当たりの街の雰囲気の違いが龍馬と小五郎の違いなのかなと考えてしまいますが、実際、幾松のある当たりは京都の中でも最も雰囲気の良い場所のひとつではないかとも思います。

ところで、今では京都の繁華街としてお洒落スポット(と呼ぶにはややゴミが散らかっている騒々しい町という印象でしょうか)となっている木屋町通りも、実は高瀬川を巡って紆余曲折があったようです。大正時代には水運も廃止され、道路整備が優先されて暗渠化してその上に路面電車を通す計画もあったそうですが、なんとか今の風景が残されたとの事です。


2.今時の京都の愉しみかた

観光で京都に来る場合、まず京都駅から見える東寺の五重塔や、駅から直ぐの本願寺を見て京都に来たなあと実感するかもしれません。観光名所なら、まずは清水寺や産寧坂、八坂神社や円山公園、南禅寺から銀閣寺、あるいは金閣寺あたりは誰もが一度は訪れる場所でしょう。

もちろん、京都は歴史があるだけでなくて、現代でもお洒落で賑やかな大都市です。京都のお洒落スポットなら北山通りや御池通りあたりの方になるでしょうか。 でも、実は古くて新しい、京都らしい京都を感じるなら、四条河原町から先斗町や木屋町通りを北上していくルートが一番楽しいかもしれません。

河原町周辺は、今も昔も賑やかな繁華街だったようですが、実際には一昔前まで、繁華街の中心は寧ろ河原町通りを挟んで西側の新京極や寺町のアーケードの方が賑やかな場所でした。もちろんアーケード街は今でも賑やかな商店街ですが、どちらかといえば京都のお土産屋が並ぶ観光地といった感じになってしまい、むしろ京都の町の繁華街はアーケードから離れて周辺に伸びています。
ところで、アーケードを北上すると、御池通りまで突き当たってしまいますが、丁度御池通りに差し掛かる当たりに本能寺があります。言わずと知れた本能寺の変の本能寺。でもこの地にある本能寺が事件の場所であった訳ではなく、秀吉によって現在の場所に移り、それが今まで続いているという事です。

まあそれでも江戸時代の300年の直前の大事件に縁のある地がその後江戸時代の終焉に関わる大きな事件の舞台となった訳ですから、やはり歴史の象徴のような場所であることには違いないでしょう。 恐らく、新撰組も幕末の志士達も本能寺が近くにあることは知っていたはずですが、まさか自分達も後世になって歴史の舞台としてここに刻まれていくことになるとは思ってもみなかったかもしれません。


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先斗町は京都の今と昔の顔


京都といえばまずは鴨川四条大橋から


木屋町通りの高瀬川沿いに土佐藩邸がありました


近江屋の今は・・・


この酢屋の二階に龍馬が住んでいました


料亭「幾松」が桂小五郎の隠れ家です


大村益次郎と佐久間象山遭難之地石碑は並んでます


高瀬川の一番北端



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