大阪(大阪市内)
意外と(!?)歴史が残る街
1.
北堀江・・・旧土佐藩屋敷付近
今、大阪の一番お洒落な街として人気の南堀江。そこから北に1ブロックほど歩けば北堀江です。最近は北堀江方面までお洒落なカフェが進出しているので、街歩きには丁度良い場所です。
もともと南堀江は、家具屋さんが立ち並ぶ商店街したが、ここ数年ですっかりお洒落なセレクトショップとカフェの並ぶ若い人向けの街になっています。南堀江の成功をきっかけに、大阪の西側は活気を見せ始めて徐々に新しいお店も増えて、若い人の街になってきていますが、そんな場所にかつては旧土佐藩屋敷がありました。
旧土佐藩屋敷は、その後三菱グループの拠点となり、今では学校や公文書館などが立ち並び、かつての屋敷の面影は土佐稲荷神社があるくらいでしょうか。
ところで、この土佐稲荷神社、土佐藩屋敷内に鎮座していて、かつて桜の名所として知られいたそうですが、今の土佐稲荷神社は、明治以降岩崎弥太郎の三菱グループの本拠地跡地の面影が強く、新しい本殿にも三菱のマークが入り、神社を囲む玉垣にも三菱グループの関連企業の名前がびっしり並んでいます。
2.
旧川口居留地
外国人居留地というと、横浜や函館、神戸は有名ですが、明治の初期は大阪にもかつて居留地がありました。それが旧川口居留地です。
この川口居留地が出来た明治元年当時は、後藤象次郎を大阪府知事とし、外国人判事として五代才介(友厚)、陸奥陽之助(宗光)を責任者として開設されました。以外に明治初期には龍馬の周辺の開国派な人々で大阪の近代化を図ってきたのかな?なんて思いを馳せてみたりです。
この川口居留地は、神戸や横浜のように華やかな異人館が立ち並ぶというイメージとは程遠いのですが、唯一昔の名残をとどめているのが、大正時代に作られた煉瓦造の川口キリスト教会です。かつては、この地から数多くのミッション系の学校が開校され、その一部は今でも関西を代表する学校として数えられます。
今では川口居留地跡の石碑が残されているだけで、少し寂しい倉庫街となっていますが、結構クラブとかの立地には良いかもしれないなとか考えたりしてます。
3.
適塾から堺筋/北浜
福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内らの維新で活躍した人材を多数排出した蘭学塾として名前は大変有名ですね。大阪の適塾と、萩の松下村塾は幕末の文化遺産の代表だろうと思います。
さて、大阪の適塾ですが、大阪の中心地御堂筋から歩いてすぐ、北浜駅よりも淀屋橋駅の方がやや近いかな?というくらい本当に大阪のビジネス街の真ん中にあります。
そして、このあたりにはシェWADA、吉兆と高級レストランや料亭が立ち並んで、高級感でいっぱいのエリアです。
ところで日本史では、人名を当てられた大事件はそれほどありませんが特に有名な事件が二つあります。ひとつは平将門の乱で、もうひとつが大塩平八郎の乱です。
将門は、大手町の首塚で有名ですが、実際どんな事件だったのかはあまり詳しい人はいないかもしれませんが、大塩平八郎はもっと知られてないかもしれません。
もともと大阪の与力だった大塩は、引退した後陽明学を学んで私塾を設立します。そんな人がなんで反乱なんて起こしたかというと、天保の大飢饉という大凶作があって、多くの餓死者を出したのにも関わらず、当時幕府はなんら対策を取らずにいたところに、大塩が「救民」という旗印を掲げて幕府転覆を企てて武装蜂起した事件です。この事件の舞台が天満橋から北浜にかけての場所でした。
この事件と黒船来航による開国とが、後々の明治維新を生み出すことに繋がったと、一般的に言われています。