守口宿(守口市・門真市)
知られざる京街道の名所?!
1.
繁華街からタイムスリップ
京阪守口駅から市役所側に出ると目の前にすぐ歩道橋のような陸橋が目に入ります。この一段高いところにある路地のような空間がかつての京街道の57番目の宿場、守口宿のある文禄堤です。
文禄堤は別名「太閤堤」と呼ばれていて、豊臣秀吉が京都と大阪を結ぶ街道整備に当たった結果、大坂城と伏見城を結ぶ最短ルートとして毛利輝元らの諸大名に築かせた街道といわれています。
堤という名前の通り、昔は淀川がこの当たりにあったのですが、今の位置になったのは明治に入ってからの事だそうです。
文禄堤は総延長27kmに及んだそうですが、その面影を今にとどめているのは、守口市内ではこの駅周辺の600メートルほどの区間のみだそうです。
今でも宿場町の名残を感じさせるような昔ながらの街並みを見る事ができますが、ときどき昔からの町家を改修したお洒落なレストランやオープンカフェなどもあって、ちょっと休憩しながらのんびり散策することもできます。直ぐそばに国道一号線が通っているのにも関わらず、この当たりは車もまばらで静かなところです。
2.
大塩平八郎がなぜ守口に?
大阪MAPで少し大塩平八郎に触れましたが、守口にも大塩にちなんだ史跡が残されています。
大塩平八郎の乱は密告もあって一日で制圧されてしまいますが、北浜天満橋を焼き討ちした後、大塩らは舟で守口へと逃げ込んだとされています。どうも守口に大塩の支持者があったらしく、それが白井孝右衛門という人で、その人の隠居所が今日「大塩平八郎ゆかりの書院」と呼ばれ、現存しています。